パラリンピックを観て

パラリンピックに多くの選手を送り出している国は「豊か」なんじゃないか

と直感的に思ったので、すごく雑に調べてみた。

 

批判覚悟で極端なことを言えば、競技としてのスポーツは不要不急と言えるし、障がい者のスポーツを支援することは、非常にコストのかかるものだからだ。健常者と比較して、さまざまなサポートをする人と道具等が必要であり、ある意味『余裕のある社会』でないと障がい者のスポーツを支援することは難しいのではないかと思ったからだ。

 

ここで、ざっと、GDP上位15カ国のパラリンピック参加者数を見てみた。グラフ内の直線(点線)は、直線は15カ国のデータに基づく近似直線である。

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GDP-パラリンピック参加選手数

もちろんコロナ禍の特別な要素などもあるだろうが、なんとなく傾向が見えそうである。日本は主催国なので別に考えるとして、おそらくGDPと参加者数にはある程度の相関がありそうだ。

近似曲線よりやや下方だが欧州各国及びカナダ~米国あたりが平均的なグループと考えると、中国、ロシア、ブラジル、イギリス、オーストラリアあたりが障がい者スポーツ積極国、韓国、メキシコ、インドあたりは非積極国と見ることができるかも知れない。たしかに、テレビの解説では、中国には障がい者用競技スポーツ施設があり、専門的に強化活動をしているとか。英国はパラリンピック発祥の国だし、オーストラリアはとにかくスポーツ大国だ。開催国の日本は特別かも知れないが、参加選手数で見た限りは、障がい者の競技スポーツに積極的な国の部類に入りそうだ。

 

ところで、日本でパラリンピックに出場できるような障がい者は当然「非常に特別な」人たちで、その背後にはとてもスポーツに参加することも難しい障害を抱えた人たちも含めておよそ1000万人の障がい者(人口の7.4%)が日本にはいる(seikatsu_chousa_b_h28_01.pdf (mhlw.go.jp))。この人たちは、はたして日常において不便の無い生活を送ることができているだろうか。パラリンピックは「共生社会の実現」が目標なわけだが、日本では実現できている/将来実現できるだろうか。

 

民主主義の原則は「多数決」であり、障がい者福祉の話に関係なく、全体のわずか7%の主張は却下されやすそうだ。となると、立法府の質が問われそうだが、日本の政治家はどこまでできるだろうか。

資本主義的に考えても、障がい者を前提としたユニバーサルデザインですべてを設計すること(例えばトイレはすべて「多目的トイレ」型にするとか)は、コストメリットを考えると優先されなさそうだ。となると、資本を持つ資本家の質が問われそうだ。日本の経営者はどこまでできるだろうか。

 

今や「先進国」とは過去のもので、落ちぶれていく発展途上国の日本にそんな余裕はないかもしれない。我々平民のできることは、数年に1度の選挙で政治家に投票し、わずかな小遣いで株券を購入(投資)することぐらいである。

 

熱しやすく冷めやすいと言われる日本で、パラリンピックが終わった後もどこまで熱を保ち続けることができるだろうか。