セカンドチャンスは無い

 

 コーネリアスが誰なのかを知らなかったが、攻殻機動隊コーネリアスの曲はいいなと思っていた。コーネリアス小山田圭吾がオリパラ開会式の楽曲メンバーを辞任することになった。メディアでは、過去「いじめ」騒動が要因とされている。が、その「いじめ」の内容はとても「いじめ」レベルのものではなかったようだ。2次ソースしか見ていないが、その内容の凄惨さに、とても1次ソースを確認する気にもならなかった。2次ソースに間違いが無ければ、明らかに「虐待」であり、訴訟になっていれば「犯罪」のレベルだ。まさに、鬼畜の所業だ。

 一方で、過去に起こした過ちのために、セカンドチャンス、サードチャンスの無くなる社会はどうなのか、とも考える。少なくとも日本の社会においては、犯罪者にもセカンドチャンスを与えることが認められている。たとえ重大な犯罪を犯したとしても、刑期を終えれば社会に復帰し、参加することが認められている。しかし実際には、元犯罪者を雇用しない会社はあるだろうし、近隣住民だって以前と同じように接することができないことだってあるだろう。正直なところ、元犯罪者の方々に会ったことが無い(知らない間に会っていたかもしれないけど)ので、塀の向こうでどのような反省や悔い改めがあり、心を入れ替えたのか分からないが、本人がどう変わったとしても、周囲の人はどうしても色眼鏡で見てしまうものだ。

 つまり、新たなチャンスはあっても、過去の過ちによって失うものがあり、過去の過ちが「ゼロクリア」されることはないということだ。

 話は戻って、冒頭の件。過去の「過ち」に対して、本人がどのようにして悔い改めたのかはよく知らない。少なくともCorneliusTwitterを見る限りでは、当事者への謝罪すらしていないようだ。

学生当時、私が傷付けてしまったご本人に対しましては、大変今更ではありますが、連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪したいと思っております。

https://twitter.com/corneliusjapan/status/1415968059580293121?s=20

 もしかしたら、本心からは過ちとすら思っていないのかも知れない。いずれにしても、小山田の過去の「過ち」はやはり消えることは無く、参加できない(するべきでない)仕事があるのは当然のことだろう。

 それと、もう一つ。組織委から依頼を受けた時、小山田はどう考えただろうか?自分がその仕事を受けるにふさわしいと思っただろうか?前述のツイートでは「クリエイターの方々の覚悟と不安の両方をお伺いし、熟考した結果」とあるが、このような過去についての不安と覚悟についても熟考していただろうか。

開会式を少しでも良いものにしようと奮闘されていらっしゃるクリエイターの方々の覚悟と不安の両方をお伺いし、熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました。

(同上)

 いずれにしても、今後、「Cornelius」または「小山田圭吾」のクレジットを見ると、その過去を思い出してうんざりしてしまうに違いない。